東京, 8月28日, /AJMEDIA/
約10万5000人の死者・行方不明者を出したとされる関東大震災から9月1日で100年となる。手記などから当時の様子は伝わっているものの、直接の体験者はほとんどが亡くなった。残された子孫は経験を語り継ぐ難しさを口にする。
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7歳のとき東京都墨田区の自宅で被災した市川ふみ子さん(107)=神奈川県平塚市=は、震災90年の2013年、防災フォーラムでの証言を頼まれたのを機に、それまで口にしなかった当時の体験を語り始めた。
「『うー』と風がうなるような音がした」「馬や大八車が飛んで回っていた」。約3万8000人が犠牲となった陸軍被服廠跡で見た火災旋風の様子を、10年前にこう振り返っていた。
3年前に入院し、今は会話も困難になった。長女の飯田征子さん(79)=同=は「母から聞いた話なので内容が薄くなってしまい、半分も伝えられない」と、もどかしさを感じている。
小学2年生の時に豊島区で被災した長島花樹さん=16年に100歳で死去=は、90歳になってから当時の体験を絵本にした。始業式を終え、友人宅でままごとをしている最中に地震に遭い、栃木県に避難して約2カ月半後に帰京するまでを描いた。
井戸に毒を入れる人がいると触れ回る警察官や、朝鮮人とみられる人たちのうめき声を聞いた様子も記した。長女の七穂さん(75)=豊島区=は「自分が聞いた声が耳に焼き付いて離れず、それを書き留めるのが使命と思ったのでは」と話す。
絵本は「あの過ちを繰り返さないためにも警鐘を鳴らし続けたい」と締めくくられている。七穂さんは「身内に向けて書いたとは思えない。世の中に出した方がいいとは思うけど…」と、残し方を考えあぐねている。
東北大学災害科学国際研究所の佐藤翔輔准教授(災害伝承学)によると、一般に発生から30年がたつと記憶の継承は難しくなるが、「語り継ぎ」ができている地域では被害を抑えられた事例が東日本大震災などであった。
「メディア情報の充実で(被害の実相を)知る機会は増えた。今を生きる人たちが当時の社会背景を踏まえて語った方が伝わりやすく、適切なタイミングでバトンを渡していくのが理想だ」と話した。