秀吉の書状がネットオークションに… “失われゆく古文書”

東京, 11月2日, /AJMEDIA/

オークションサイトをのぞくと、大量に出品されている古文書の数々…。

落札されず廃棄されているものも多いとみられ、歴史研究者も危機感を募らせている。

ネットに限らず、世代交代や蔵の取り壊しなどで、文書の内容や価値を知らないまま処分し、散逸してしまうケースも相次いでいるという。

地域の歴史を物語る宝となりうる貴重な資料をどうしたら守れるのか。失われゆく古文書の現状を取材した。

(科学・文化部 記者 堀川雄太郎)

古文書の入手先は…
まず訪れたのは、東京大学史料編纂所。

案内してくれたのは、戦国時代の歴史などが専門の村井祐樹准教授だ。
戦国時代を中心に数々の貴重な古文書を見つけ、分析を続けてきた村井准教授。

織田信長に豊臣秀吉…。

南北朝時代から戦国時代まで、誰もが聞いたことのある著名な武将たちの古文書の数々が並んでいた。
秀吉から毛利輝元に宛てられた書状
こちらは、本能寺の変の後、秀吉から毛利輝元に宛てて送られた書状。未発表のものだという。

秀吉が手に取った可能性があるかもしれない。そう思うと、これまで残っていて今、自分の目の前にあることが奇跡のようにも感じる。

もちろん、有名なものだけが貴重というわけでは無い。

地域の歴史を知る上で重要な手がかりとなる資料の数々も取り扱っている。
キリシタン大名 大村氏の手紙「大村純忠・信顕連署書状」
見せてくれたのは長崎のキリシタン大名・大村氏が書いた手紙。

宛先は不明だが、一族と家臣の間の関係性などが記されているという。
東京大学史料編纂所 村井祐樹准教授
「長崎はあまりこういう中世の時代の資料が発掘されていないので、非常に重要な地域の資料だと思います」
村井准教授が入手したこれらの資料。
実はいずれも、インターネットオークションを通じて集めたものだと言う。
実際に村井准教授とともに、オークションサイトを調べてみることにした。

すると、たしかに大量の古文書が出てくる。

中には、毛利輝元の書状とみられるものも。著名な戦国武将のものとなると偽物も多いが、本物が出品されることも珍しくは無いという。

そのほかにも江戸時代の手紙や明治時代の土地の台帳などもあり、時代は幅広い。
20年ほどオークションサイトをチェックしているという村井准教授は、近年出品される古文書が劇的に増えていると話す。

落札されないものも多く、そのまま処分されるおそれもあると指摘する。
東京大学史料編纂所 村井祐樹准教授
「近年出品が増えているのはやはりスマートフォンの普及が影響していると思います。スマホで写真を撮って、そのまますぐに掲載できますから。オークションに1000円スタートで出て、そして誰も入札しないということもけっこうあります。売れなかったものがどうなるかというと…どこかのタイミングで処分されてしまうのだと思います」
地域の古文書廃棄も 背景は
古文書が失われていくのはネット空間だけではない。

地域の現場を取材したいと村井准教授に伝えたところ、紹介してくれたのが長野県立歴史館だ。

学芸員の村石正行さんに案内されたのは古文書の書庫。
文書の入った箱が天井近くまでびっしりと並んでいた。

ここだけで34万点もの古文書が保管されているそうだ。

村石さんは地域の古文書を救い、保存する活動にあたってきた。

長年、蔵などに保管されてきたものが、価値が分からず廃棄されてしまうことも近年では少なくないという。
長野県立歴史館 村石正行さん
「人口減少が地域でも進み、空き家が増加し、そのまま取り壊されることもあります。また、核家族化が進み、代替わりとともに家に伝わってきた古文書まで面倒を見られないという事情も背景にあると思います」
中には、持ち主が古文書を燃やしていたと歴史館に通報があり、間一髪で救い出せた資料もあったそうだ。
間一髪で救い出された古文書
また村石さんは、インターネットオークションに出品されている地元の古文書をみずから購入し、歴史館に寄贈したこともある。

公的な機関としては価格の変わっていくオークションに参加するのは難しい。しかし、オークションが終わってしまえば資料が散逸してしまう可能性もある。

そのため自腹を切ったというのだ。
地元の災害伝える貴重な記録
1783年 浅間山噴火時の問屋の記録「岩村田宿問屋依田家文書」
こうして保存してきた資料の中には、地元の災害の悲惨さを物語るものもあった。

1783年に浅間山が噴火したときの当時の問屋の記録だ。
「浅間山大焼けにて、石砂おびただしく吹き出し…」

噴火の影響で中山道が通行止めとなり、非常に困っていると書かれていた。

こうした災害に関する古文書は、自治体の避難計画などに生かされることがあり、貴重な記録だと村石さんは指摘する。
住民の申し出で保護 その後“県宝”に
「大井法華堂文書」
さらに村石さんが見せてくれたのは、住民の申し出によって保護された古文書だ。

5年前、佐久市の大井家が4400点余りの資料を寄贈した。大井家は江戸時代まで山で修行を行う山伏だったという。
「大井法華堂日記」(安政5年)
江戸時代に書かれた日記には、「疫病流行につき、ご祈とう仰せつけられ」などと記されていた。

コレラの感染が広がっていた1858年、山伏が流行をおさめるための祈とうをしていたというのだ。

ほかにも、1824年、アラビア半島から見せ物として日本に来ていた2頭のラクダが、江戸に向かう途中に中山道を通ったという、珍しい記録も。

当時は千曲川が洪水で橋が落ちていて、ラクダが泳いで渡ったというエピソードまで記されていた。

寄贈後、大変貴重なものだとわかり、長野県の指定文化財、“県宝”にも指定された。
貴重な古文書 未来へ託す
貴重な古文書を寄贈したのはどのような思いからだったのか。

大井家の大井道也さん(98)に話を聞きに行った。
およそ700年にわたって続く大井家の24代目で、代々資料を蔵で大切に保管してきたという大井さん。
大井家の蔵
高齢のため、地元の自治体などで預かってもらえないか相談したが、当初は引き取り手が見つからなかったという。
大井道也さん
「大変貴重なものなので、こういう普通の民家にいつまでも置いておくものではないと思っていました。もし何かあった場合には全部パーになってしまいます。そうなったらご先祖に対して大変申し訳ないことです」
保管してきた蔵を取り壊すことになり、資料が散逸する可能性もあると知った村石さんが声をかけ、無事に歴史館に寄贈されることになった。
長野県立歴史館 村石正行さん
「大井さんのお気持ちがあって、4000点以上の資料が救われました。感謝しています。まだ解読していない資料もあるので、これからいろいろな情報が出てくると期待しています」
大井道也さん
「不安に思っていたので、本当によかったというか、ありがたいことです」
散逸防ぐには “古文書に関心を”
地域の古文書が散逸していく問題。

どうすれば防ぐことができるのか。
長野県立歴史館の村石さんたちは、地域の人たちを対象に、古文書の読み解きを通じて親しんでもらう催しを定期的に開いている。

まずは地域の歴史に関心を持ってもらうことが大切だと村石さんは語る。
長野県立歴史館 村石正行さん
「古文書を残していくということは、記憶を継承していくことです。地域の皆さんが、どのような資料がどこにあるのか関心を持っていただく、あるいは、自分の家にどのような資料があるのか関心を持っていただく。長い目で見ると、そのことが散逸や流出を防止する一番の手段かなと思っています」
では、実際に古文書が自宅などにあっても、管理できずに困ったときにはどうすればいいのか。

東京大学史料編纂所の村井祐樹准教授に聞いた。

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