真珠湾「戦果図」の数奇な運命 80年後も色彩失わず―米議会図書館で所蔵

東京, 12月06日, /AJMEDIA/

太平洋戦争の戦端を開いた真珠湾攻撃から7日(日本時間8日)で80年。奇襲攻撃の指揮官が作成した「戦果図」が、米首都ワシントンの議会図書館に所蔵されている。数々の所有者の元を転々とした歴史的資料は、今も鮮やかな色彩を保っていた。
 1941年12月7日、真珠湾攻撃の第1次攻撃隊長だった淵田美津雄中佐は機上から「トラ・トラ・トラ」と奇襲成功を打電した。その後、約2時間にわたって上空を旋回。米太平洋艦隊の艦艇が次々と炎に包まれる様子を目に焼き付けた。
 淵田氏は同月26日、昭和天皇に真珠湾攻撃の戦果を報告する機会を与えられ、説明資料として損害評価図を作った。
 評価図は縦約80センチ、横約60センチ。右上に「軍極秘」とあり、真珠湾に停泊していた艦艇約60隻が青や緑、黄色の水彩で描かれた。命中した爆弾の種類や魚雷の数、逃避を図る艦艇の航跡などが詳細に記され、艦艇ごとに「軽微な損害」から「沈没」まで4段階の損害評価がなされた。
 鉛筆による下書きの跡も残り、丁寧な仕事ぶりがうかがえる。議会図書館地理・地図部門の専門家ロバート・モリス氏は「地図製作の観点からすると、評価図は自身の目撃情報に基づいて丁寧に製作され、どこか美しさもある。このような作品が長い年月を経て、一般に公開されるのは非常に珍しい」と指摘する。
 淵田氏は戦後、キリスト教に改宗。連合国軍最高司令官マッカーサー元帥の下で働いていた歴史家に評価図を譲渡した。
 歴史家の死後、評価図は実業家マルコム・フォーブス氏のコレクションに加えられた。その後もフロリダ州の非営利団体やマイアミ・デード大学の元を転々とし、2018年に議会図書館に所蔵された。
 モリス氏は「評価図は20世紀の歴史が大きく変わった瞬間を描写したもので、歴史的価値は計り知れない」と強調。「不運なことに、その美しさの中には日米両軍の多数の兵士が命を落とした日の恐怖が描かれている」と語った。

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