殉教者の日、アゼルバイジャンのバクー悲劇から32年 32回目の記念日に関するアゼルバイジャン日本友好協会の声明文

東京, 1月20日, /AJMEDIA/

1990年1月20日にバクーとアゼルバイジャンの多くの地域でソビエト帝国が犯した血まみれの虐殺の日です。
私たちは、日本アゼルバイジャン友好協会として、この悲劇を犯した加害者、また民間人の血を流した者を強く非難し、悲劇の犠牲者に心から敬意をもって追悼します。32年前にソ連指導部がアゼルバイジャン国民に対して行った犯罪を、日本の国民に客観的に伝えたいと思います。
この大量虐殺の任務における主要な目標の一つはアゼルバイジャンの人々の意志を打ち砕くことでした。アゼルバイジャンの人々は正当な要求を打ち出し、民主的な方法でこれを達成したいと考え、自由と主権を望んでいました。ソ連軍はアゼルバイジャンの人々を威嚇し、彼らの民族的覚醒、領土保全、主権への闘いを破壊することを目的としていました。これらはソ連上層部の狡猾な計画の一部でした。当時、旧ソ連の指導者ミハイル・ゴルバチョフが率いるソビエト帝国の指導者は、特殊部隊による挑発行為を利用し、バクーとアゼルバイジャンの地方に「アルメニアカード」を打ち出した。
また、この悲劇で犠牲になった人々の情報を分析することによって、旧ソ連指導者の犯罪政策の本質を確認できます。1990年1月、バクーとその周辺では、ソ連軍による虐殺で140人以上が死亡し、700人以上が負傷しました。虐殺された人の中には5か国の方、20人以上の女性と子供がいます。また、この悲劇中で、病院、「救急車」の車に火がつけられ、医師が殺されました。
私たちは、当時バクーや地方で起こった大量虐殺された方々、民族解放のために闘った英雄たちのことを記憶し、アゼルバイジャンの国民の心に永遠に刻まれました。これは悲劇であると同時に、自由を求めるアゼルバイジャンの人々の闘いであり、我々の忘れられない1ページです。
我々は、偉大なる指導者ヘイダル・アリエフが、この血なまぐさい出来事の最中に命をかけ、モスクワのアゼルバイジャンSSRの常設公館にやってきて、悲劇における旧ソ連とアゼルバイジャン指導者の罪を宣言したことを思い起こさせます。国家指導者が政権に復帰した後も、彼は再びこの問題を提起し、1月20日の出来事の政治的、法的価値を得るために真剣な手段を講じました。1月20日は、偉大な指導者の命令により、「国民の追悼の日」とされました。
我々は、1月20日の殉教者の目的と願望が、アゼルバイジャン国民の勇気と闘争の結果として実現されたことを強調します。アゼルバイジャンは独立国家となっただけでなく、我々の英雄的軍隊が偉大な最高司令官イルハム・アリエフの指導のもとで、占領されていた土地を解放しました。これは、私たちの殉教者を偲ぶ最も価値のある贈り物です。
今日、アゼルバイジャンの指導者は、1月20日の悲劇で死亡した人々、殉職者の家族、障害者の問題を解決することを国家レベルの重要な課題のひとつと位置づけています。我が国では、この方向で大きな措置がとられています。殉教者の遺族や障害者の社会保障は年々改善されている。
祖国のために命を捧げた私たちの勇敢な息子と娘が眠る殉教者の路地は、私たちの国民の神聖な誓い、私たちの国民の意志の輝かしい年代記になりました。 殉教者の路地は、私たちの自由、独立、国民の団結の象徴として、将来の世代の誇りの源であり続けます。
アゼルバイジャン・日本友好センター会長

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