大統領の決断「両国関係の発展に」 旧日本兵恩赦から70年―フィリピン

東京, 7月23日, /AJMEDIA/

【マニラ時事】第2次大戦中に日本と連合国間で数多くの戦闘が繰り広げられたフィリピンで、戦犯として罪に問われていた旧日本兵105人が大統領の恩赦で帰国を許された出来事から70年を迎えた。
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 恩赦の実現に向け尽力した従軍画家の四女で、安来市加納美術館(島根県安来市)の加納佳世子名誉館長(78)が大統領の子孫と共に、日本兵が収監されていたマニラ首都圏モンテンルパ市で行われた13日の式典に臨み「大統領の決断が両国関係を発展させた」とあいさつした。
 1953年7月、恩赦に踏み切ったのは当時のフィリピンのキリノ大統領。妻と3人の子供のほか、親族5人を旧日本軍に殺害されていたにもかかわらず、将来の両国関係を考え恩赦を決断したという。
 そのきっかけをつくったのが、旧日本軍の従軍画家加納莞蕾(本名・辰夫)だった。知人が罪に問われていることを知った莞蕾はつてをたどり、キリノ氏宛てに助命や世界平和の実現に向けた思いをつづった手紙を49年から4年間、送り続けた。その数200通余り。少なくとも、うち43通が大統領の下に届けられた。
 「『許し難きを許す』ことが、恒久平和の実現につながる」といった文面が大統領の心を動かしたとされる。佳世子さんは「本人にも『従軍画家として自分は何をしてきたのか』という思いがあったのでは」と振り返った。
 第2次大戦中の1942~45年、日本の統治下にあったフィリピンでは、連合国との間でルソン島の戦いなどが展開され、約110万人のフィリピン人、52万人近くの日本兵が死亡したとされる。

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