受け継いだ教訓「伝え続ける」 「山津波」父が残した記録―語り部の内田さん・関東大震災100年

東京, 9月3日, /AJMEDIA/

100年前に発生した関東大震災の震源に近く、強い揺れに襲われた神奈川県片浦村(現小田原市)の根府川地区。10歳のときに被災したミカン農家の内田一正さん=1998年に死去=は、地震後に起きた二つの土砂災害について詳細に調べ、記録に残した。長男の昭光さん(81)は「本震から余震が起きるまで5分あった。その間に、いかに安全な所に避難するか考えないといけない」という父の言葉を教訓として伝え続けている。
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 神奈川県西部では、丹沢や箱根で大規模な山崩れが起き、最大の被災地が根府川地区だった。同地区では当時の根府川駅で列車を駅ごと海に押し流した地滑りと、集落の大部分が埋まった「山津波」の二つの土砂災害が起き、400人以上が犠牲となった。
 昭光さんや記録によると、震災当日、一正さんは小学校の始業式を終え、立ち寄った友人の家で被災した。揺れが収まり、急いで自宅に戻った直後、余震が起こった。「山が来た、逃げろ」という祖父の叫び声とともに家族で高台に避難。一正さんが振り返ると、1分もたたないうちに土石流で自宅が埋まってしまったという。一正さんは後に、当時の様子を「辛うじて北側の台地にのがれた数十名を除き、多数の人は家もろとも土中に埋没してしまいました」と手記に残している。
 一正さんは震災から50年が経過したころから、二つの土砂災害の規模や土砂が通ったルート、被害状況などの調査を始め、根府川地区で起こった悲劇を数年かけて詳細にまとめた。昭光さんは「震災に限らず、地域のことを伝えたくなったのでは」と推測する。
 一正さんの調査によると、地震直後に根府川地区を流れる白糸川の上流にある大洞山が崩壊。約5分後には山津波が集落を襲い、289人が亡くなった。根府川駅は地滑りにより停車中の列車ごと海へ落ち、131人が犠牲になった。調査した内容は内閣府の報告書にも引用されている。
 地元でホテルを経営する昭光さんは、一正さんから受け継いだ関東大震災の記憶を小学校で児童らに伝える活動に取り組む。「台風や大雨といった気象条件や山、川などの地形が生死を分ける。自分がどういう場所に住んでいるか、知るべきだ」と話している。

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