東京, 8月3日 /AJMEDIA/
父への思いについて聞かれると声を詰まらせながら上を見上げた。「自分がお父さんと約束したのがオリンピック優勝だったので」。期待を背負った柔道男子100キロ超級の斉藤。親子2代の金メダルはパリの舞台ではかなわなかった。
五輪を連覇し、日本を代表する柔道家だった父の仁さんは2015年、斉藤が中学1年の時に亡くなった。重心の動かし方や手首の使い方、父が得意だった「体落とし」など、小学生の時からたたき込まれた基礎は今でも生きている。
ただ、当時はひたすら怖い存在だった。「本気で柔道と向き合ってる状態でお父さんとしゃべったことはない」。日の丸を背負う覚悟や五輪に臨む心境など、今だから聞いてみたかったことはたくさんある。
仁さんは現役時代、山下泰裕さんをなかなか超えることができなかった。激闘を繰り広げた全日本選手権を振り返り、「俺は山下先輩にあそこで勝っていたら、(そこで燃え尽きてしまって)ソウル五輪で優勝していない」と話したことがある。斉藤は目標にしていたリネールとの対戦はかなわなかったが、その悔しさこそが今後の糧になるのかもしれない。
「4年後のロサンゼルス五輪で何が何でも絶対にやり返さないといけない」と誓った斉藤。そこはくしくも父が1984年に金メダルを獲得した地でもある。