「記憶後世に」誓う 「見守って」空に風船―宮城・福島、発生時刻に黙とう―東日本大震災12年

東京, 3月12日, /AJMEDIA/

東日本大震災から12年を迎えた11日、被災地では鎮魂の祈りがささげられた。巨大な地震や津波で家族や友人を失った人、震災を知らない子どもたち。発生時刻の午後2時46分、人々は犠牲者をしのんで静かに手を合わせ、記憶と教訓を次世代に引き継ぐことを誓った。
 宮城県南三陸町の防災対策庁舎前では、発生時刻を知らせるサイレンとともに遺族らが手を合わせた。パート従業員の岡崎登美さん(58)=塩釜市=は、町役場職員だった妹を失った。妹は庁舎屋上に避難したところを津波にのまれた。「いつ来てもまだ上に妹がいるような気がする」と話し、鉄筋だけが残った庁舎を見上げ涙をこぼした。
 700人以上が犠牲になった同県名取市の閖上地区では、当時の住民らが集まって黙とう。「たまには帰っておいで」「空から見守ってください」などのメッセージが書かれた風船約320個を子どもらが空に飛ばした。
 同地区で行方不明者捜索などのボランティア活動に当たった無職菅野恒夫さん(68)=仙台市太白区=は「道路や住宅整備などの復旧は進んだが、遺族の心が安らぐような復興とはまだ言えない。震災の記憶をどう次世代に残していくかが課題だ」と語った。
 182人が犠牲となった福島県浪江町でも追悼式が開かれ、遺族ら約60人が出席。父を亡くした浦島博之さん(58)は追悼の辞で「助けてあげられなかったことは今も心のしこりとなって残っている」と話し、「震災で人生が変わった。後世に伝えるため生かされたのかもしれない」と述べた。
 東京電力福島第1原発が立地する同県双葉町では、町産業交流センターに献花台が設けられた。大分県在住の青木博範さん(61)は、被災地でのボランティア活動を機に、毎年欠かさず福島に足を運んできた。黙とう後、「他人にとっては『もう12年』でも、当事者にとっては『まだ12年』。絶対に風化させてはいけない」と訴えた。津波で父を失い、現在埼玉県で避難生活を続ける古室正一さん(67)は「一人でも多くの人が戻って来る町になってほしい」と話した。

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