東京, 3月10日, /AJMEDIA/
福島県楢葉町の梶原和子さん(70)は、東日本大震災から11年目に入った2021年6月、避難先の同県いわき市から帰還した。住んでいた宿田地区は津波で壊滅的被害を受け、唯一残った樹齢200年のイチョウの神木が心の支えとなっている。
地震発生時、和子さんは旅行中だった。町の社会福祉協議会に勤めていた夫の貞二さん(71)とは連絡が取れず、「何が何だか分からなかった」と振り返る。貞二さんは施設の通所者を避難させた後、海岸から離れた場所に逃げた。振り返ると、大きな黒い壁のような波が迫っていたという。
地区を流れる木戸川はサケ漁が盛んで、住民が植えたアジサイが咲く季節になると、食事を持ち寄り鑑賞会を開くなど交流も絶えなかった。しかし、震災で災害危険区域に指定され、今は無人となった。
東京電力福島第1原発事故の避難指示は15年9月に解除。事後の説明会で各地に避難した友人らと久しぶりに再会し、「お墓参りに行くとイチョウの木があるから家の場所を思い出せる」「あそこでアジサイを見たっけ」と昔話が尽きなかった。
「ついの住み家」は生まれ育った楢葉町と考え、地区から約1キロ離れた父親宅の離れをリフォームして移り住んだ。氏神を祭ったイチョウは枯れ始めており、「後世に残すことが使命だ」と21年10月、隣に若木を植樹。2本のイチョウは、コンクリートの巨大な堤防と防災林だけとなった宿田地区のシンボル的存在だ。
現在、貞二さんは木戸川漁業協同組合などの役員を務め、宿田地区の住民の思い出をまとめた文集を作っている。和子さんは婦人会に入り、東京五輪の聖火リレーのルート沿道に花を植えた。
台所の小窓から、イチョウを眺めながら朝食を取るのが和子さんの日課だ。「ここに戻って半年ほどは、自分がよそ者のようで迷いもあったけれど、イチョウに頑張れ、頑張れと励まされている気がする。生活の力になっています」と笑った。