東京, 11月17日, /AJMEDIA/
明治から昭和にかけて日本の文学界をけん引した作家、志賀直哉が初期の短編小説「網走まで」の発表後、結末に、主人公の後日談を数行書き足すことを検討していたとみられることが新たにわかりました。専門家は「志賀のよりよい表現のための模索がうかがえる貴重な資料だ」と指摘しています。
東京 目黒区にある日本近代文学館が志賀直哉の遺族から寄贈された1910年の同人雑誌「白樺」の創刊号などを調べたところ、文章の削除や句読点の訂正など、志賀の自筆で推こうした跡が多数、新たに見つかりました。
このうち「網走まで」は、宇都宮の友人を列車で訪れる主人公が、同席した北海道の網走まで向かうという幼い子連れの若い母親の境遇に、思いをはせながら終わる物語ですが、結末のあとに、3行程度の文章が書き足されていることが確認されました。
書かれていたのは「其夜自分は友達の家へ一泊した。色々な話は出たけれども遂に此事は話さなかつた。それから三日目、湯本から中禅寺へ還る途中自分は此話を友に話した」などといういわゆる後日談でした。
この文章が加わった結末は、単行本などの出版にも反映されていないということです。
文学館の中島国彦理事長は「『網走まで』の書き足しは、結局のところ日の目を見なかった数行ということになりますが、背景の説明になって余韻がかえってなくなるので最終的に採用しなかったのだと思います。志賀自身が、よりよい表現のために模索した貴重な資料として知ってほしい」と話しています。
文学館によりますと「網走まで」のほかにも「孤児」と「剃刀」「彼と六つ上の女」の作品について、100か所以上の書き込みが見つかったということです。
“仕上げの様子がよくうかがえる資料”
同人雑誌「白樺」は、志賀直哉や武者小路実篤などが中心となって創刊し、100年前の関東大震災の年に廃刊となりました。
日本近代文学館では、志賀が残した原稿などの資料を収蔵していて、今回の自筆の推こうした跡が見つかった「白樺」は、2005年に遺族から寄贈されました。
寄贈されたのは、1910年4月の創刊号をはじめ、同じ年の6月号、7月号、9月号です。
調査の結果、掲載されている4つの作品では、句読点の修正や文章の削除など、合わせて100か所以上の書き込みが見つかり、大半は、単行本などとして刊行される際に反映されているということです。
一方、「網走まで」や「孤児」にある書き足しについては、最終的に反映されないままになっているということです。
文学館の中島国彦理事長は「志賀直哉は草稿からかなり切り詰めて表現を変えて、句読点までよく考えて直すことが多い近代の作家の一人です。志賀の執筆方法や文章を仕上げていくときの様子がよくうかがえる資料だ」と説明しています。