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円高に後手の日銀 高まる批判、苦悩深める―11年下期議事録

東京, 2月1日, /AJMEDIA/

 日銀は31日、2011年7~12月の金融政策決定会合議事録を公開した。東日本大震災後の円高対応を迫られ、8月と10月下旬の会合で金融緩和を決定。しかし、効果は限定的で後手に回り、執行部が苦悩を深める姿が浮かび上がった。市場は緩和策を「小出し」と受け止め、日銀は政財界から強い批判を浴びる。
 円相場は11年7月、1ドル=79円台となり、約1カ月ぶりに80円を突破した。白川方明総裁(肩書は当時、以下同)は8月4日の会合で、「今がタイミング」として金融資産の買い入れ基金を10兆円増額する緩和策を決定。同日朝の政府による4カ月半ぶりの円売り介入と歩調を合わせた。
 その後も円高の勢いはやまなかったが、日銀は国内景気の持ち直しなどを理由に、9月と10月上旬の会合で追加緩和を見送った。その間、欧州債務危機はギリシャからイタリア、スペインなどに飛び火。金融市場の混乱とともに、円高が加速した。当時の民主党政権は10月21日、約2兆円の円高対策を閣議決定し、日銀は同27日、政治圧力に押されるように追加緩和を余儀なくされた。
 同日の会合で白川総裁は「(日銀は)現在も長期国債を積極的に買っていると認識してもらう必要がある」と発言。国の借金を中央銀行が穴埋めする「財政ファイナンス」への懸念も生じていた時期で、日銀の政策判断への理解不足に苦慮していた様子がうかがえる。副総裁だった西村清彦政策研究大学院大学特別教授は「市場との対話が不足していた」と振り返る。
 円相場は10月末、1ドル=75円32銭の戦後最高値まで上昇、その責めを日銀は負った。この後、欧米から円安誘導に理解を得られなくなり、政府の為替介入は事実上封じられていく。円高対策を一手に引き受ける形となった日銀は、12年末に誕生する第2次安倍晋三政権による「アベノミクス」の大号令を受け、「異次元緩和」に足を踏み入れることになる。

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