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「助けられたのでは」今も 遺族代表の倉岡さん―熊本豪雨3年

東京, 7月03日, /AJMEDIA/

 熊本県人吉市で2日開かれた熊本豪雨の追悼式で、遺族代表として追悼の言葉を述べた介護福祉士の倉岡伸至さん(54)は、独り暮らしの伯母倉岡アヤ子さん=当時(92)=を亡くした。当時を振り返り、「助けられたんじゃないかとの思いは、ずっと残っている」と後悔の思いを口にした。
犠牲者67人の冥福祈る 熊本豪雨3年で追悼式

 球磨川が氾濫した2020年7月4日は、仕事のため早朝から隣村に来ていた。テレビの映像や友人からの連絡で氾濫を知り、アヤ子さんに電話したがつながらなかった。「近所の人が連れ出して、なんとか無事なのかなと思った」
 自宅に戻ると床上2メートルまで水に漬かっていた。近所で同様に浸水した妻の実家と共に後片付けに追われていたところ、2日後の6日朝になって市職員から「アヤ子さんと連絡は取れているか」と電話があった。
 驚いてアヤ子さん宅へ向かったが、近所の人も姿を見ていないという。「もしかしたら」との思いから警察へ連絡すると、室内から遺体で見つかった。
 倉岡さんは高齢のアヤ子さんの買い物を月2回ほど手伝っていた。「自分のことよりも人のため」が口癖で、通っていた病院から何度も入院を勧められていたが「人の世話にはなりたくない」と拒んでいた。「無理にでも入院させておけば、助かったかも」との思いが今も心に残っている。
 現在は、妻の実家で親と同居している倉岡さん。約1メートルかさ上げしたが、「毎年、雨が降れば『また水が』という恐怖がある」と明かす。二度と同じ思いはしたくないとの思いから遺族代表を引き受けたといい、「行政は強いリーダーシップで治水に取り組んでほしい」と語った。

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