観光立県「先駆け」を自負 復帰直後開業の老舗ホテル―「ムーンビーチ」顧問・沖縄復帰50年

東京, 5月08日, /AJMEDIA/

 青い海と白い砂浜を求め、観光客が集まる沖縄県恩納村。1975年、旅の目的が戦没者慰霊からリゾートへと変化し、客足が一気に伸びた時代に「ホテルムーンビーチ」は開業した。集客に試行錯誤を繰り返した歩みを、顧問の喜納進さん(74)は「リゾートホテルの先駆けだった」と誇っている。
 東京で学生時代を過ごし、電気工学を学んだ。復帰直前の72年3月、沖縄へ戻り、県内建設大手の国場組(那覇市)に入社。沖縄駐留の米兵でにぎわった「月乃浜海水浴場」を同社が買い取り、75年の沖縄海洋国際博覧会に合わせて建設されたホテルに、電気設備の技術者として出向した。急造の工事で、自宅との往復を惜しみ、愛車に泊まり込みもした。
 仕事ぶりが評価され、同博覧会閉幕後も現地に残留することに。「東北の人は朝4時に起きて沖縄にやってくる。だからできることは全てやる」というホテルマンとしての精神を学び、企画立案など運営全般に携わるようになった。1年ほどは経営難にあえぎ、「まさに祭りの後。電気料金を払い切れずに延滞した」と振り返る。
 打開の契機を得たのは、山口百恵さんと三浦友和さんが主演した人気ドラマ「赤い衝撃」(76~77年)のロケ地に選ばれたこと。各地から団体客が押し寄せ、「ホテルが旅の目的になったのは日本初だ」と笑う。
 80年代にはいち早くマリンリゾートの導入に着手。新しい挑戦を渋る上司を説得するため、ウィンドサーフィンを自腹で購入したり、水上バイクをカナダから取り寄せたりした。
 一方、若い海兵隊員がビーチで騒ぐようになると、階級が低い兵士を立ち入り禁止にした。「『人種差別だ』と苦情が入ったが、将校に現場を見せると沈黙した」という。現在は米兵家族が静かに休暇を楽しむ。
 「何事にも勇気がいるが、自分の責任で何かをやった経験で勇気を持てる」。老舗リゾートの地位を確立させたキャリアをこう振り返り、自負をにじませた。

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