独ソ激戦スターリングラード訪問 プーチン氏「戦車の脅威再び」

東京, 2月3日, /AJMEDIA/

 ロシアのプーチン大統領は2日、第2次大戦で熾烈(しれつ)を極めた独ソのスターリングラード攻防戦(1942~43年)の終結80年を迎え、南部の現ボルゴグラードを訪れた。戦勝記念公園「ママエフの丘」で献花した後、演説で「われわれは再びドイツの戦車の脅威に直面している」と述べ、西側諸国によるウクライナへの軍事支援を非難した。
 独政府などが決めたウクライナに対する主力戦車供与にプーチン氏が言及するのは初めて。今月24日のウクライナ侵攻開始1年の節目を控え、ナチス・ドイツに抵抗した過去と現在の侵攻を重ね合わせ、目的を「祖国防衛」にすり替える意図がありそうだ。
 「優先課題は(ウクライナ軍が)砲撃できないようにすることだ」。プーチン氏は1日の政府会議で、国境付近の被弾を念頭に、ロシア軍に対処を求めた。長期化に耐える環境を整えるべく、国民に「被害者意識」を植え付ける狙いもあるとみられる。
 独ソ戦を巡り、プーチン氏は1月18日、故郷サンクトペテルブルクを訪問。約80年前に旧レニングラードを900日近く包囲したナチス・ドイツと今の西側諸国を同一視するような発言をした上で、ウクライナ侵攻は「(仕掛けられた)戦争を終わらせる」ためと正当化した。
 独立系メディアによると、ママエフの丘の博物館脇に最近、ソ連人2000万人以上の犠牲の末に戦勝をもたらした独裁者スターリンの胸像が完成。30年代の「大粛清」で批判され、ウクライナでは「ホロドモール」と呼ばれる大飢饉(ききん)を招いたという評価だが、ロシアで「拒絶反応」が薄れている。
 ボルゴグラードでは終戦80年に合わせ、道路標識が一時的に「スターリングラード」に掛け替えられた。ただ、全ロシア世論調査センターの調べでは「スターリンの町」を意味する旧称に戻すのには住民の67%が反対。帝政時代はツァリーツィンと呼ばれており、スターリングラードだったのは25~61年の36年間だけだ。

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