姉「あと10年待てるのか…」 増元るみ子さん、市川修一さん―日朝首脳会談20年・被害者家族らの思い

東京, 9月18日, /AJMEDIA/

 増元るみ子さん=拉致当時(24)=は1978年8月、当時交際していた市川修一さん=同(23)=と鹿児島県日置市の海岸で北朝鮮に拉致された。るみ子さんの姉、平野フミ子さん(72)は「妹が元気に暮らしていてくれれば。会えればなおいいが、あと10年待てるのか…」と不安を口にする。
 2002年10月に拉致被害者5人が帰国した際、政府が今後も被害者を連れてくると期待した。だが、「何の成果も得られず今に至っている」と落胆を隠せない。「一日も早く被害者が帰る道筋を付けて。本当にそれだけ」と訴える。
 るみ子さんの弟照明さん(66)は「家族はあすにでも会いたいと思っている。その気持ちが(政府に)伝わっていないのだろうか」と話す。被害者家族が亡くなるたびに政治家は「痛恨の極み」などと発言すると指摘した上で、「政府は何もしてこなかった印象しかない。『痛恨の極み』という言葉は受け入れられない」と憤る。
 市川修一さんの兄健一さん(77)は「政府を信じるしかない」と語った。「一刻も早い解決に向けて動いてほしい」と願う。
 ◇兄「政府は真剣に取り組んで」=石岡亨さん、有本恵子さん、松木薫さん
 札幌市出身の石岡亨さん=拉致当時(22)=と熊本市出身の松木薫さん=同(26)=は1980年、滞在先のスペインで消息を絶った。83年には、英国留学中だった神戸市出身の有本恵子さん=同(23)=も行方不明に。88年、亨さんが家族に宛てた手紙で、3人が北朝鮮にいることが判明した。
 亨さんの兄章さん(67)は、これまでの日本政府の対応について「『これが最優先の大問題です』と折に触れて言うだけだ」と批判。「きちんと真剣に解決法を探るような『ちゃんとした人』が拉致問題に取り組んでほしい」と訴える。
 恵子さんの母嘉代子さんは2020年2月、娘との再会がかなわぬまま94歳で亡くなった。夫の明弘さん(94)は「日本の力ではとても助けられない」と話し、日米間の連携が必要と考える。
 薫さんの弟信宏さん(49)は、被害者家族の訃報がここ数年相次いでいることについて、「理屈抜きで、もう時間がないという認識を持たないといけない」と強調する。

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