剣豪 宮本武蔵は「気のいいおっちゃん」だった?文化人の顔も

東京, 9月27日, /AJMEDIA/

江戸時代、剣豪の宮本武蔵が晩年を過ごした熊本で、当時の藩主から儒学の第一人者らとともに文化人との対話の場に招かれたという内容の書状の控えなどが新たに見つかりました。

見つかったのは、剣豪、宮本武蔵が晩年を過ごした熊本の藩主や家老が、江戸時代の寛永17年からの3年間に送った書状の控えなど合わせて4点です。熊本大学が所蔵する細川家に関連する史料の中から発見されました。

当時の藩主、細川忠利が晩年に文化人との対話を重ねる中、武蔵が武家の行動規範や儒学の第一人者らとともに対話の場に招かれていたことを示しているということです。

このことから、武蔵が『文化人』として高く評価され、周りと交流しながら道を突き詰める開かれた『兵法家』としての姿がうかがえるとしています。

熊本大学の永青文庫研究センター長の稲葉継陽教授は「従来の武蔵像は孤高の剣客で、とっつきにくく怖いイメージだが、今回の史料からは、周りと議論しながら道を突き詰める快活な性格がうかがえる」と話しています。

発見された史料の一部は、ことし11月3日からの3日間、熊本大学で公開される予定です。

“気のいいおっちゃん” 隣人の荷物預かることも
今回見つかった史料の中には、武蔵が隣に住む人の荷物を預かっていたことを示すものもあり、近所づきあいが深く親切で信頼されていた生活者としての姿も明らかになったということです。

熊本大学の永青文庫研究センター長の稲葉継陽教授は「日常生活でも近所の荷物を預かる『気のいいおっちゃん』だったと考えられる」と話しています。

また、史料を見つけた、後藤典子特別研究員は「史料の紙を焼き鳥用の串ではがしたら、宮本武蔵の文字が出てきたので、『武蔵です』と声を出して立ち上がり、喜びました。晩年を熊本で過ごしたのに、なかなか史料が出てこないので、伝説上の人かとも思いましたが、武蔵は実在していました」と話していました。

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