元タレントの上岡龍太郎さん 死去 81歳 関西を中心に活躍

東京, 6月3日, /AJMEDIA/

テレビ番組の司会などで関西を中心に活躍した、元タレントの上岡龍太郎さんが、肺がんと間質性肺炎のため、大阪府内の病院で5月19日に亡くなりました。81歳でした。

上岡龍太郎さんは1942年に京都市で生まれ、1960年に故・横山ノックさんらとともにトリオ漫才の「漫画トリオ」を結成すると、ノックさんの明るく強烈な「ボケ」に突っ込みを入れるスタイルで一躍人気を得ました。

1968年に「漫画トリオ」の活動を休止してからは、タレントとして数多くのテレビのバラエティー番組で司会などとして活躍し、辛口のコメントを交えた切れ味のよい流ちょうな話しぶりで親しまれました。

特に、1988年から放送が始まった民放のバラエティー番組「探偵!ナイトスクープ」では、初代局長として鋭いツッコミや時に見せる厳しい意見で、番組の顔として人気を不動のものにしました。

ほかにもトーク番組などで関西を中心に幅広く活躍していましたが、デビューから40周年を迎えた2000年に芸能界を引退してからは、ほとんど公の場に姿を見せることはありませんでした。

上岡龍太郎さんは、肺がんと間質性肺炎のため、5月19日、大阪府内の病院で81歳で亡くなりました。

息子の小林聖太郎さん「勝ち逃げできた幸せな人生」
上岡龍太郎さんの息子で、映画監督の小林聖太郎さんは、「お世話になった方々にも突然のお知らせとなってしまったことを深くお詫びいたします。昨年秋頃、積極的治療の術がなく本人も延命を求めていない、と知らされた時に少しは覚悟しておりましたが、あれよあれよという急展開で母も私もまだ気持が追いついていない状態です。とにかく矛盾の塊のような人でした。父と子なんてそんなものかもしれませんが、本心を窺い知ることは死ぬまでついに叶わなかったような気もします。弱みを見せず格好つけて口先三寸……。運と縁に恵まれて勝ち逃げできた幸せな人生だったと思います。 縁を授けてくださった皆様方に深く感謝いたします」とするコメントを出しました。
歴代“局長”の西田敏行さんと松本人志さんが追悼コメント
民放の人気バラエティー番組「探偵!ナイトスクープ」で、初代局長の上岡さんの後を継いで2代目局長を務めた俳優の西田敏行さんは、「上岡龍太郎さんが逝きました。同時にあのエスプリの効いたおしゃれな大人の会話も昇華しました。あの知的で少し照れ屋のはにかんだ眼鏡のお顔を見ることができないのか~嗚呼」と追悼のコメントを出しました。

また、3代目局長を務めるダウンタウンの松本人志さんは、自身のツイッターで「初代局長 上岡龍太郎さんのご冥福をお祈りいたします。3代目局長 松本人志」と投稿しました。
間寛平さん「すごくかわいがっていただいた」
上岡龍太郎さんが亡くなったことについて、お笑い芸人の間寛平さんは、「上岡さんにはすごくかわいがっていただいたので、訃報を聞いてショックでした。個人的には、38年前に初めてフルマラソンを走ったホノルルマラソンでタイムが3時間13分57秒やったんですけど、上岡さんからお祝いをいただき、封筒をのぞいたら3万1千357円入ってました。アースマラソンではゴール地点のNGK(なんばグランド花月)に、そっと出迎えに来てくれていました。本当に残念です」とコメントしています。
桂小枝さん「これからも見守ってください」
上岡龍太郎さんが亡くなったことについて、落語家の桂小枝さんは「信じられません。上岡さんはパーフェクトな人で、死なないと思っていました。怒りの上岡と言われましたが、ボクは怒られた事がありません。何でも自由にやらせていただきました。今の桂小枝があるのは上岡さんのお陰です。上岡さんが引退される前に、弱ってからでは遅いので形見分けをくださいってお願いすると、楽屋ののれんをくださいました。中に手紙が入ってました。上岡さん、本当にありがとうございました。これからも見守ってください」とコメントしています。
桂ざこばさん「お元気にされてると思ってた とてもショック」
上岡龍太郎さんが亡くなったことについて、落語家の桂ざこばさんは「長いことお目にかかっていませんが、お元気にされてると思ってましたので、とてもショックです。上岡のお兄さんは大好きな方でしたが、皆でワーワー言ってても、どこかでこれ以上入ってはいけないように、なぜか僕が勝手に感じていました。もちろんご本人はいつもカッコよく自然体で、そんなことは考えてなかったでしょうね。また寂しくなります」とコメントしています。
小籔千豊さん「たくさん勉強させてもらった」
上岡龍太郎さんが亡くなったことについて、お笑いタレントの小籔千豊さんは「非常に残念です。私は学生時代、上岡さんと笑福亭鶴瓶さんの番組が大好きで、部屋にポスターを貼っているくらいでした。上岡さんのことは本当に尊敬していて大好きで、引退されて、それでもまたどこかでお会いできたらと願っていましたが、こういう形になってしまい本当に残念です。たくさん勉強させてもらって、すごく影響を受けている部分があると思います。本当に感謝したいです」と話していました。
和田アキ子さん「胸がいっぱいで言葉になりません」
上岡龍太郎さんが司会を務めたテレビのバラエティー番組「ラブアタック」に1978年から出演していたという歌手の和田アキ子さんは、当時、この番組が唯一のレギュラー番組だったということで、「胸がいっぱいで言葉になりません。上岡さんには本当に可愛がって頂きました。会う度に『お前は偉いな!頑張ってるな!』と、いつも褒めてくれました。私の誕生日には、毎年お祝いに来ていただき、いつも悪ふざけして、少年のようにはしゃいで笑っている笑顔が忘れられません。本当に残念です。悲しくて仕方ありません」などとコメントしています。
大阪で死去惜しむ声「しゃべりの天才」
大阪のお笑いの発信地で、ミナミにある吉本興業の「なんばグランド花月」の前では、上岡さんを惜しむ声が聞かれました。

兵庫県から訪れた50代の女性は「亡くなったと聞いて驚きました。流ちょうにテレビで話している姿がよみがえります。はっきりものを言うところが気持ちよかったです」と話していました。

名古屋市から訪れた60代の男性は「お笑い界の神様みたいな人でした」と話していました。

東大阪市に住む70代の男性は「話がうまくて弁のたつ人で、しゃべりの天才でした。惜しい人をなくしました」と話していました。
中学の同級生「人を楽しませるセンスは抜群」
京都出身の上岡龍太郎さんが中学生の時の同級生、中川長重さん(81)は、上岡さんが芸能界を引退してからも交流を続けていました。

中川さんは「あの龍ちゃんが亡くなったのかと、惜しい気持ちでいっぱいです」と肩を落としていました。

中学生のころの上岡さんについては、「生徒会長や演劇部の部長をしていて、当時からとても目立つ存在でした。卒業を記念して演劇の公演をしたのですが、練習ではまったくセリフを覚えてこないのに、本番ではおもしろおかしく、完璧にやりきって、アドリブといいますか、人を楽しませるセンスは抜群でした」と振り返りました。

上岡さんは芸能界を引退してからも中学校の同窓会に参加していたということで、中川さんは「毒舌だから、みんながおもしろがって、再会を心待ちにしていましたが、去年は欠席で、心配していました。まだまだ話したいことがたくさんありました」と写真を見ながら寂しそうに話していました。

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