停滞続く拉致問題 核・ミサイルの脅威増大―日朝首脳会談20年

東京, 9月17日, /AJMEDIA/

 2002年9月に小泉純一郎首相が北朝鮮の平壌を訪問し、金正日朝鮮労働党総書記と初の日朝首脳会談を行ってから、17日で20年となった。日本人拉致被害者5人とその家族の帰国につなげたが、その後、目に見える成果は出ていない。核・ミサイル問題も解決せず、その脅威は一段と増している。(肩書は当時)
 拉致問題担当相を兼務する松野博一官房長官は16日の記者会見で、「いまだに多くの拉致被害者の方々が北朝鮮に取り残されていることは痛恨の極みだ。全ての被害者の一日も早い帰国実現に向け、全力で行動する」と述べた。
 首脳会談で金正日総書記は、拉致被害者の横田めぐみさんら8人を「死亡」とする一方、5人の生存を認めた上で謝罪。両首脳は拉致・核・ミサイル問題の包括的な解決や早期の国交正常化をうたった「日朝平壌宣言」に署名した。5人は翌10月に帰国を果たした。
 小泉首相は04年5月に再び訪朝し、2回目の首脳会談に臨んだ。被害者家族計8人は同年7月までに日本に到着した。
 だが、北朝鮮は米国の金融制裁に反発。06年7月に弾道ミサイル発射実験を再開し、同年10月には初の核実験に踏み切るなど強硬姿勢に戻った。
 光が差した時期もあった。日朝両政府は14年5月、北朝鮮が拉致被害者らの再調査を約束し、日本側は独自制裁を一部解除するとした「ストックホルム合意」を交わした。しかし、4回目の核実験や弾道ミサイル発射を受け、日本が16年2月に制裁措置を強化すると、北朝鮮は合意を一方的にほごにした。
 その後、北朝鮮は日本を協議の相手とせず、米トランプ政権との対話に突き進む。安倍晋三首相は18年6月の初の米朝首脳会談でトランプ大統領に拉致問題を提起してもらうなど、交渉の糸口を探るのに精いっぱいの状況。岸田文雄首相も今年1月の施政方針演説で「条件を付けずに金正恩総書記と直接向き合う」と強調したが、暗礁に乗り上げたままだ。
 一方、北朝鮮の核・ミサイル技術の高度化は著しい。核実験はこれまで6回実施し、核兵器の小型化・弾頭化に成功したもよう。潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)や米本土を射程に収める大陸間弾道ミサイル(ICBM)の発射も繰り返しており、日米などの危機感は強い。
 20年6月、拉致被害者家族連絡会の象徴的存在だった横田滋さんが87歳で死去。関係者は被害者やその親世代の高齢化に焦燥感を募らせる。北朝鮮は新型コロナウイルス禍を理由に対話の窓口を閉ざしており、外務省幹部は断続的に呼び掛けていると明かした上で「反応はない」と語った。

Follow us on social

Facebook Twitter Youtube

Related Posts