信長の「長島一向一揆」攻めの書状 東京大学史料編纂所が確認

東京, 7月1日, /AJMEDIA/

現在の三重県に拠点があった「長島一向一揆」を攻略するため、織田信長が大軍で攻める時期を家臣に示した書状が残されていたことを東京大学史料編纂所の研究者が確認したことがわかりました。

戦国武将の織田信長は各地で起きた「一向一揆」と激しく争い、現在の三重県桑名市を拠点にした「長島一向一揆」では3回目の合戦で信長が大軍を差し向けて攻略しています。

書状は、東京大学史料編纂所の村井祐樹准教授がインターネットオークションで見つけて確認したもので、信長が「長島一向一揆」との3回目となる合戦に向けて準備をしていた天正元年(1573年)に、一揆の拠点近くの城にいた家臣、鎌田新介などに宛てた書状だということです。

この中では、翌年にあたる天正2年の1月から3月ごろに拠点を攻めることを示したうえで、それまで城にとどまり、守りを固めるよう指示しています。

書状は、朱印と呼ばれる末尾の赤い印が切り取られていますが、使われていた紙の質や筆跡の特徴などから織田信長が書かせた書状と判断されたということです。
村井准教授は「この書状を送った直後に起きた別の一向一揆などに対処したため、予定が半年ほど遅れたが、準備を着々と進めていたことがうかがえる。信長の考えや作戦を読み解ける史料で貴重な発見だ」としています。

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