人魚のミイラ?研究者が本気で調べると…

東京, 2月12日, /AJMEDIA/

人魚と聞いて、皆さんは何を思い浮かべますか?
映画や、ドラマ、漫画にもよく登場しますよね。

そんな人魚が「ミイラ」となって岡山県内の寺に大事に保存されています。

人魚?そもそも空想の生き物のはずじゃ…しかもミイラ?
このミイラは本当に人魚なのか。
研究者たちが1年間かけて科学的に、そして大真面目に調べました。

サル魚じゃないよ 人魚だよ
こちらが岡山県浅口市の寺院、圓珠院に伝わる「人魚のミイラ」です。
全長はおよそ30センチ。

顔は人ではなくサルに似ているように見えます。
でも、下半身をよく見ると、ひれのようなものがついていて、確かに魚っぽいです。

うーん、サル魚?

でも由緒ある「人魚」です。
一緒に保存されている書きつけにちゃんと記されています。

「元文年間に土州沖(高知県の沖)で魚網にかかった『人魚干物』。漁師によって大阪に運ばれ、販売されていたものを、備後福山(広島県)の人が買い求め、以後、家宝とした」

元文年間とは1736年から1741年。江戸幕府8代将軍、徳川吉宗の時代です。

ただ、保存している寺の住職も、いつ、誰が、どうして寺に持ち込んだのか詳しいことは知らなかったといいます。
ミイラは何しに岡山へ
それでも大切に守られ続けてきた「人魚のミイラ」
その正体を明らかにしようと、去年2月、研究グループが立ち上がりました。

メンバーは倉敷芸術科学大学の教授と准教授、倉敷市立自然史博物館の学芸員、そして岡山民俗学会の研究者合わせて5人です。

ミイラの素材と保存状態、そして歴史的な背景を調べるため科学的な調査を始めました。

調査は、電子顕微鏡などを使った表面観察に始まり、エックス線による内部の撮影。そして、DNA鑑定も行いました。
3Dでミイラ撮り
こちらは研究チームが解析した人魚のミイラの3D映像です。
表面には、動物のように毛が生えていて、爪がついた5本の指もあります。
目や鼻、口もあってすごくリアルです。
両手が顔の横にあって、まるでムンクの「叫び」のように見えます。
背中や下半身などには、魚のようにヒレやうろこが見てとれました。
これってもしかして…
ミイラその正体は…
調査は1年にわたりました。
そして今月、ついに調査結果を発表する記者会見が開かれることになりました。
「人魚のミイラ」は本物なのか。
みんな、頭ではなんとなく分かっています。

でも、科学的な調査で、これまでとは違う新たな生物の発見につながるかも…

高まる期待。いよいよ結果が発表されます。
示された結果は「人魚のミイラは、人の手によって作られたもの」でした。

予想どおりといえばそれでおしまいですが、よく分からない怪しいものを本気で調べることが、今回の研究のおもしろさ。ここからが本番です。

どんな素材を使って、どのように作られたのか。
まず、上半身の調査結果です。
内部を撮影したエックス線CTの画像をみると、頭の骨や背骨、ろっ骨といった主要な骨格がないことが分かります。

代わりに内部には綿が詰められているそうです。

そしてサルのような見た目は、紙や布を使って表現され、表面には砂や炭を混ぜた塗料が塗られているということでした。

1度見たらなかなか忘れられないムンクの「叫び」のような顔も、大部分が紙などで作られていました。

また、歯は肉食の魚類のもので、体表にはフグの皮と動物の毛が付けられていました。
一方、下半身の調査結果は…

ウロコを調べた結果などから、東シナ海を中心に広く日本の沿岸に生息するニベ科の魚の特徴があるそうです。

ニベ科の魚は、練り製品の原材料に使われるものです。
スーパーに並ぶ商品の原材料を使って「人魚のミイラ」が作られていたなんて…
海の近くで暮らしていた人が身近な魚で作ったのかもと、思わず想像してしまいました。

そして、作られた時期はいつか。

時間が経過すると減少する「放射性炭素」を使い測定したところ、1800年代後半に作られた可能性が高いということもわかりました。
寺にある理由はナゾのまま…
一連の調査で、外側から眺めているだけでは分からないことが、次々と明らかになりました。

しかし、このミイラは寺で大切に保存されているものです。
傷をつけることは許されず、調査には限界がありました。
結局、どこの誰が作ったもので、どうして浅口市の寺にあるのか。
そこは最後まで詳しくは分からなかったということです。
「人魚のミイラ」はメイドインジャパン
研究グループによると「人魚のミイラ」は、日本各地に10体ほどあり、海外にも日本から輸出されたとみられるものがあるということでした。

人魚のミイラがなぜ作られるようになったのか。
詳しい専門家に話を聞きました。
国立民族学博物館 人類文明誌研究部 山中由里子教授
「『人魚のミイラ』は江戸時代後期から明治時代にかけてたくさん作られました。人魚などの幻獣が出たという情報は、疫病や災害に見舞われた時期に出回り、当時の人たちは、こうした珍しい生物を見ることに御利益があると考えていました」

「そのため、瓦版などに絵として描かれただけではなく、動物や魚など現実の生き物のパーツを組み合わせた見せ物も作られました。見せ物小屋で人々は『ミイラ』と対面し、珍しい異形の生き物に驚くと同時に、災厄から逃れたいと祈りました。娯楽と信仰が結び付いていたのです。たとえ、作り物でも、そこに寄せられた人々の思いは本物です」
「何者なのか知りたいということが原点」
研究グループの記者会見では、次のようなやりとりもありました。

記者
「ロマンを崩すようで申し訳ないのですが、正直、人間が作ったものであることは予想できたはずです。それでも『ミイラ』を科学的に調査した動機を教えてください」
倉敷芸術科学大学 生命科学部 加藤敬史教授
「幼いころに読んでいた子ども向けの雑誌には妖怪とかUFOが出てきて、いつもわくわくしていた。そうした怪しいものと実際に巡り会うことは想像していなかったが、今回、お寺の協力で調査する機会が巡ってきた。この怪しいものが何者なのか知りたいということが原点でした」

記者
「研究の意義を教えてください」

加藤教授
「国内外で『人魚のミイラ』は複数見つかっているが、科学的な調査はほとんどされていなかった。私たちの研究をきっかけに、今後、同じような研究が行われて比較されることで、今回分からなかった作り手の解明につながればいい」
「これからも大切に守り伝えていきたい」
会見にはミイラを所蔵する圓珠院の住職も同席しました。
圓珠院 柆田宏善住職
「この『人魚のミイラ』には作った人、保存してきた人、そして珍しいものとして祈りや願いを託してきた人、さまざまな人の思いが宿っています。今回の調査で作りものだとわかりましたが、ミイラに寄せられた思いが変わるわけではありません。石や木でできた仏像に人々が手を合わせることと同じです。私はこのミイラをこれからも大切に守り伝えていきたいです」

調査を終えて「人魚のミイラ」は寺に戻りました。
圓珠院では一般向けに公開はせずに、虫害などに気をつけて大切に保存していくということでした。
人魚のミイラに教えてもらったコト
爪やウロコなど細部まで精巧に作り込まれたミイラからは、当時の人々が人魚に抱いていた興味や祈りの強さがうかがえました。

今の時代、あるかないか、本物かにせものかと二元的に考えがちですが、そこにあてはまらない、よく分からないものがあってもいいのだと改めて思いました。
そして私も、それをおもしろがる気持ちも忘れずにいたいと思いました。

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