中原中也「朝の歌」の推こう中原稿など発見 記念館で公開 山口

東京, 2月16日, /AJMEDIA/

山口市出身の詩人、中原中也の推こう中の詩の原稿と知人に宛てたはがきが去年、新たに見つかり、15日から山口市の「中原中也記念館」で公開されています。

中原中也は明治40年に山口市に生まれ、日本の近代詩に足跡を残しましたが、昭和12年に30歳の若さで亡くなりました。

去年、中也の初期の代表作「朝の歌」の推こう中の原稿と、大分県出身の詩人、瀧口武士に宛てたはがきが東京神田の古書店などで見つかり、15日から山口市の「中原中也記念館」で公開されています。

このうち、推こう中の原稿は昭和4年ごろに書かれたものとされ、「朝の歌」が大正15年に初めて発表されてから昭和9年発表の詩集「山羊の歌」に掲載されるまでの推こうの過程が見て取れます。

また、はがきは昭和11年に当時、中国 大連に住んでいた瀧口に宛てたもので、瀧口が編集を手がけた「鵲(かささぎ)」という雑誌を贈ってくれたことへのお礼などが書かれています。
中也が「鵲」に1編の詩を投稿していたことは分かっていますが、このはがきは2人が交流していたことを示す初めての資料となります。

「中原中也記念館」の中原豊館長は「中也の創作過程が分かる貴重な資料が見つかって大変うれしい。この達筆な筆跡から中也の創作姿勢を感じてほしい」と話していました。

新たに見つかった原稿とはがきは、今月19日まで公開されています。

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