アルツハイマー病の新治療薬 アメリカで承認 日本では?

東京, 1月12日, /AJMEDIA/

厚生労働省が推計した再来年、2025年時点での65歳以上の認知症の患者数です。このうち6割から7割を占めるとされるのがアルツハイマー病ですが、まだ根本的な治療法はありません。

こうしたなか、日本の大手製薬会社「エーザイ」などが開発した「レカネマブ」という新たな薬が今月6日、アメリカで承認され、実際に患者への利用が始まる見通しとなりました。この薬の登場によって、認知症の治療のありかたが変わるかもしれません。

(科学文化部 記者 岡肇)

「症状がこれ以上進んでほしくない」
都内にある認知症の専門クリニックです。

社会の高齢化により患者が増加するなか、長年患者の診察を続けてきた医師は、コロナ禍で人と人との交流が減ったことが症状の悪化に影響を与えていると感じています。
メモリークリニックお茶の水 朝田隆 理事長
「コロナ禍がマイナスに働いて、認知機能が衰える人は少なくないと思います。今ある薬だけでは治療の効果が十分得られないので、運動や人と交わる機会を積極的に作ってもらうようにしています」
このクリニックが勧めているのは、定期的な運動です。気軽にできる筋肉トレーニングの刺激で、症状の進行を少しでも遅らせることを期待しています。

できるだけ長く元気でいたい。多くの高齢者たちの願いです。
60代男性
「認知症に負けないという気持ちで、できるだけのことをやっています」

60代女性
「自分は物忘れを結構するので、症状がこれ以上急には進んでほしくない」
アルツハイマー病 新薬の効果は
認知症のなかでも、半数以上を占めるのがアルツハイマー病です。ドイツの医師、アロイス・アルツハイマーが100年以上前に初めて報告してから、世界中で原因と治療法の研究が進められてきました。

しかし、いまだに詳しいメカニズムは完全には解明されていません。

現在、国内で承認されているアルツハイマー病の薬は4種類。残った神経細胞の働きを高めるなどして、症状が進むのを数年程度遅らせますが、脳の神経細胞が壊れていくこと自体を止めることはできません。

このため、世界中の研究機関や製薬会社はアルツハイマー病の進行自体を抑えることができる根本的な治療薬の開発に取り組んできました。
そのターゲットの1つとされてきたのが、脳にたまる異常なタンパク質「アミロイドβ」です。

アルツハイマー病の患者の脳には「アミロイドβ」がたまっていることが知られています。この「アミロイドβ」によって、脳の神経細胞が壊れ、認知機能が低下していくと考えられています。

壊れてしまった神経細胞は元に戻すことができません。

しかし、日常生活が送れなくなるほど認知機能が低下する前に、進行を緩やかにすることができれば、患者の生活の質は大幅に向上します。

介護が必要になるまでの期間や、家族と一緒に暮らせる時間が延びることにつながり、認知症治療と社会的な意義の両面で大きな前進となることが期待されています。
「エーザイ」などが開発した「レカネマブ」も、「アミロイドβ」を取り除くことを目的に作られた抗体医薬です。

人工的に合成した抗体を「アミロイドβ」に結合させて、免疫細胞が分解できるようにする仕組みです。

去年11月、認知症の国際的な学会で発表された最終段階の治験の結果では、「レカネマブ」を投与された患者は、偽の薬を投与された患者と比べて、1年半後の認知機能の低下がおよそ27%抑えられ、症状の進行そのものを緩やかにする効果が示されました。

これまでも「アミロイドβ」を取り除く薬は開発されてきましたが、認知機能の低下を抑える十分なデータは示すことはできませんでした。

このため、効果を明確に示した「レカネマブ」の治験結果は、専門家に驚きを持って受けとめられました。
東京大学 岩坪威 教授
「長年多くの研究者が挑んできた仮説に対して、科学的に画期的な成果を示すことができました。患者の症状への効果が認められたことで、この薬が今後の認知症治療開発のブレークスルーになると思います」。
そして今月6日「レカネマブ」は、FDA=アメリカ食品医薬品局に、治療薬として承認されました。

患者の脳から異常なたんぱく質「アミロイドβ」を減らす効果を示したというのが承認の理由です。

今回の承認は、深刻な病気の患者に対し、より早く治療を提供する「迅速承認」という仕組みで行われ、中間段階の治験の結果をもとに評価が行われました。

FDAは、最終段階の治験の結果を追加で分析し、その効果について改めて評価することにしています。
「標的に迫れた可能性」
なぜ「レカネマブ」は認知機能の低下を抑えることができたのか。

それは「アミロイドβ」の、ある特定の段階を狙ったことに秘密があるのではと考えているのが、金沢大学の小野賢二郎教授(脳神経内科学)です。

アルツハイマー病の原因に迫ろうと、高速原子間力顕微鏡という特殊な装置を使って「アミロイドβ」を長年観察してきました。
「アミロイドβ」は、脳の中で10年以上の時間をかけて、1つ1つの粒のようなものが徐々に集まりながら、繊維状の固まりになって蓄積していきます。

実は、これまで開発されてきた多くの薬は、繊維状の固まりになった「アミロイドβ」を取り除くよう設計されていました。

しかし「レカネマブ」は、繊維状になる前の「プロトフィブリル」という段階で結合するように作られています。

小野教授は、かねてよりこの「プロトフィブリル」という段階が、脳の神経細胞に悪影響を与えているのではないかと考えていました。

そこで「レカネマブ」が「プロトフィブリル」にどう作用するかを撮影したのです。
今回、初めて公開された映像では、繊維状の固まりになる前の「アミロイドβ」に「レカネマブ」が結合していく様子が捉えられています。

「アミロイドβ」を「レカネマブ」が取り囲み、繊維状になるのを防ぎます。そして、結合した「レカネマブ」を目印にして、免疫細胞が「アミロイドβ」を取り除くのです。
金沢大学 脳神経内科学 小野賢二郎教授
「繊維状の固まりになる前の『プロトフィブリル』の段階に結合する抗体が、より効果を発揮したということは、『アミロイドβ』の中でも、この段階が最も悪さをしているのではないかと考えられ、標的に迫れた可能性があります。今回のレカネマブの結果は、今後の認知症治療を大きく変えるかもしれないと考えています」
脳の腫れや出血のリスクも
「レカネマブ」に期待が高まる一方で、安全性については、これまでの治験で、脳が腫れたり、出血したりするリスクが高まることが指摘されています。

治験が終了したあとにも薬の投与を続けた患者のうち、2人が脳の出血で死亡したと報告されました。これについて、「エーザイ」は去年11月、2人にはもともと重大な合併症があったことなどから、「『レカネマブ』による死亡ではない」と説明しています。

また、臨床試験の期間中に死亡した人の割合は、投与のあるなしで差は出ていないということです。今後、どういう人でリスクが高まるのかなど慎重に検証をしていく必要があります。
日本の患者にいつ届く?立ちはだかる課題
「レカネマブ」が国内のアルツハイマー病の患者に届く日はいつになるのか。

アメリカでの承認を受け、1月7日、「エーザイ」の内藤晴夫CEOが会見を開き、日本での承認申請について「1日も早く行いたい」と述べ、今年中の承認を目指す考えを示しています。

しかし、承認されたとしても、この薬はすべての患者に使えるわけではありません。症状が比較的軽く、脳に「アミロイドβ」がたまっていることが確認できた早期のアルツハイマー病患者に対象が限られます。

アルツハイマー病以外にも認知症を起こす病気は数多くあり、特に初期の段階でアルツハイマー病なのか、それ以外の原因なのかを正確に見つけ出すことは簡単ではありません。

この薬を効果的に使うためには、早期のアルツハイマー病の患者をどれだけ早い段階で発見できるかがカギとなります。このため、検査や診断を行う体制づくりが求められると指摘されています。
アルツハイマー病の診断には、体の中の組織を撮影できるPET(ペット)と呼ばれる装置が広く使われています。

PETを使うと、脳の中に「アミロイドβ」がどのくらいたまっているかを画像にして映し出すことができます。
PETで撮影した脳のこの画像では、「アミロイドβ」がたまっている部分が赤や黄色で色づけされています。

しかし、PETの装置は大規模で高価なため、検査の費用が高額になるほか、設置されている医療機関は都市部に集中しています。

さらに、撮影の際に微弱な放射線を出す特殊な薬剤を投与するため、専門の施設や技術者の確保も簡単ではありません。

一方で、脳脊髄液による検査も使われることがありますが、腰に針を刺して検体を採取するため、患者の体への負担が大きく、多くの人から対象の患者を見つけ出す方法としては課題があるとされています。

専門家は、新たな治療薬の登場に備え、診断体制を整える必要があると訴えます。
東京都健康長寿医療センター研究所 石井賢二 研究部長
「地方では、PETの検査ができる病院がかなり広い地域の中に1つしかないところもあります。片っ端から検査をして、ほんの一握りの患者を見つけるのではなくて、本当に必要性の高い人をうまく絞り込んで、そういう人たちにPETの検査を受けていただく筋道が必要だと思います」
求められる血液診断技術
そこで期待されているのは、より簡単で患者に負担が少ない診断技術の登場です。
京都市にある大手分析機器メーカー「島津製作所」では、ノーベル化学賞を受賞した田中耕一さんの研究も応用し、より簡単にアルツハイマー病の診断ができる装置の開発に取り組んでいます。
検査に用いるのは、わずか数滴の血液です。

血液から分析に必要なたんぱく質を分離し、その重さの違いを比べることで、脳に「アミロイドβ」がどのくらいたまっているかを推定します。
検査の精度は90%近くと、PETに近い性能であることを科学的に検証し、世界的な学術誌で発表しました。

さらに、1月からは大分県で地元の大学や医師会などと連携して、実際の患者を対象にこの装置を早期の診断に生かせるかを確かめる研究も始めることにしています。
島津製作所 分析計測事業部 竹内司 グループ長
「体に負担が少ない血液を採取し、アルツハイマー病の兆候を見つける手法を確立することで、薬の効果が期待できる方を見つけ出せれば、より多くの人が今後出てくるだろう薬の恩恵を得られ、より早い段階の治療につなげられる」
日常会話だけでリスクが判定できる?
さらに、AIを利用して早期診断につなげようとする研究も進んでいます。

都内にある人工知能の開発を行う会社では、日常会話から認知症の兆候をつかむ研究をしています。

AIが5分から10分程度の日常会話を分析し、認知症の患者に特徴的な▽指示語の多さや▽具体性の乏しさなどを検出して、症状の進行がどの程度まで進んでいるかリスクを判定します。
5分程度の会話から、認知症かどうかを予測する精度は90%とする検証結果をまとめた論文も出していて、認知症の診断によく用いられる認知機能検査と専門医の診察を組み合わせた診断に近い精度があるとしています。

この技術をかかりつけ医の問診などで補助的に活用してもらい、リスクが高い場合には専門医の診断につなげることを目指しています。
FRONTEO 豊柴博義 執行役員
「日常会話であれば、非常に手軽に分析することができます。新たな治療が開発されるなかで、患者さんを早期に見つけて、しっかりした治療を受けていただくことに貢献できると思っています」
認知症治療 新時代を迎えるのか
アルツハイマー病の治療薬をめぐっては、海外の大手製薬会社も「アミロイドβ」を取り除く新薬を開発していて、最終段階の治験の結果がことし明らかになる見通しです。

早期診断につなげる機器や技術の開発に参入する会社が相次いでいて、新たな薬の普及を見据えた動きが加速しています。
では「レカネマブ」が使えるようになったとして、気になるのはその価格ではないでしょうか。

「エーザイ」はアメリカでの薬の価格を1人あたり平均で年間2万6500ドル、日本円にしておよそ350万円に設定しました(2週間に1回の投与を一年間続けた場合)。

日本ではまだ価格は発表されていませんが、仮に承認された場合、ある程度高額になることが予想されます。

公的医療保険でカバーすることになれば、保険財政をひっ迫させるのではないかという懸念も出ています。

さらに、治験で示された認知機能の低下を遅らせる効果が、価格に見合ったものなのかどうかということについても、患者や家族の立場だけでなく、医療経済の視点からも議論を深める必要があると複数の専門家が指摘しています。

「レカネマブ」は、あくまで「進行を遅らせる薬」であり、アルツハイマー病を完全に治療し、神経細胞を元通りにする薬ではありません。

過剰な期待は禁物ですが、早期に患者を見つける技術とあわせて、アルツハイマー病との向き合い方を大きく変える可能性を秘めているといえるでしょう。

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