「核被害の惨状知って」 保有国指導者は広島に―原爆資料館・畑口元館長

東京, 8月6日, /AJMEDIA/

 「核保有国の指導者は被爆地・広島に来て、核による被害の惨状を知るべきだ」―。広島市の平和記念資料館(原爆資料館)の館長として世界各国の要人を案内してきた畑口實さん(76)。ウクライナに侵攻したロシアのプーチン大統領が核兵器使用を示唆するなど、核廃絶に向けた動きが後退する現状を憂い、訴えた。
 畑口さんは母親の胎内で被爆した「胎内被爆者」だ。父二郎さん=当時(31)=は1945年8月6日朝、広島駅近くの広島鉄道局に出勤。畑口さんを身ごもっていた母チエノさんは、帰って来ない二郎さんを捜して広島市に入り被爆した。チエノさんは焼け跡で二郎さんが身に着けていた懐中時計とベルトのバックルを見つけ、近くにあった骨を「遺骨」として持ち帰った。
 97年、51歳の畑口さんは同資料館の館長に抜てきされた。二郎さんの遺品を手に、それまで公にしていなかった被爆者である自分自身について語り始め、定年退職までの9年間、各国要人を数多く案内してきた。2005年7月、資料館を訪れた当時のウクライナ大統領、ビクトル・ユーシェンコ氏(68)もその一人だ。
 同氏は「チェルノブイリ原発事故で大きな被害が出た。原爆の被害がどうであったか知りたいと思い、何としても広島に来たかった」と話していた。原爆の放射線による被害を伝える資料に関心を寄せ、放射線が人体に与える影響をしきりに気にしていた。
 ユーシェンコ氏の強い希望で、急きょ原爆ドームも案内した。「ドームの前を行ったり来たりしながら、何枚も何枚も写真を撮影していたのが印象的だった」と畑口さんは振り返る。同氏は芳名録に「核の脅威のない世界をつくるために、われわれは友人である日本国民と完全に連帯しています」とのメッセージを残した。
 畑口さんは「大国のエゴがある限り、核廃絶の実現は難しい」と指摘する。ただ、だからこそ来年広島で開催されるG7サミット(先進7カ国首脳会議)は「大きなチャンス」と話す。「(広島で)被爆の実相に触れ、核廃絶への具体的な行動を示し、それを実行に移してもらいたい」。畑口さんは大きな期待を寄せている。

Follow us on social

Facebook Twitter Youtube

Related Posts