東京, 11月06日, /AJMEDIA/
立憲民主党の菅直人・元総理大臣は5日、東京・武蔵野市で記者会見し、次の衆議院選挙に立候補しないことを正式に表明しました。
この中で菅直人 元総理大臣は「次の衆議院選挙に立候補しないことを、自分の中で家族の間で決断した。長い間、国会議員をやってきてこの辺りが1つの潮時だ」と述べ、次の衆議院選挙に立候補しないことを正式に表明しました。
その上で「政権交代があることが、民主主義国家の健全なあり方だ。短い期間かもしれないが、政権交代できて自民党に籍を置いたことのない私が総理大臣を務めた。日本の民主主義が機能した」と強調しました。そして「日本の政治は若い人がみずから行動することが少ない。若い人にもっとチャレンジしてほしい」と述べました。
また東日本大震災や東京電力福島第一原発の事故の対応について「事故の翌朝、ヘリコプターで現地に行った。当時はいろいろな見方があったが、対応を誤っていれば関東地方に人が住めなくなるというギリギリの状況だった。危機感を持って対応にあたった」と振り返りました。
一方、記者団から「政界を引退するのか」と問われたのに対し菅氏は「例えば引退されていた方をもう一度担ぎ出したこともある。これまでの経歴からしても、政治に何らかの関わりはするだろう」と述べました。
菅直人 元総理大臣は、衆議院東京18区選出の77歳。山口県出身で、女性の地位向上に取り組んだ市川房枝氏の選挙を手伝ったことをきっかけに、政治の道に入りました。
そして昭和55年の衆議院選挙で、当時の社民連・社会民主連合から立候補して初当選し、14回連続で当選しました。
平成8年に自民・社会・さきがけの3党による橋本連立政権で厚生大臣として初入閣し、薬害エイズ問題に取り組みました。
平成10年に結成された民主党では初代の代表に就任し、幹事長なども歴任しました。
平成21年には、政権交代して発足した鳩山内閣で副総理兼国家戦略担当大臣や財務大臣を務めました。
その後、鳩山総理大臣の辞任に伴い、平成22年に第94代の総理大臣に就任しました。この間、東日本大震災や東京電力福島第一原発の事故の対応にあたりましたが、野党だった自民党のほか、与党の民主党内からも政権運営に厳しい意見が相次ぎ、退陣しました。
総理大臣を退任したあとは脱原発の実現を主張したほか、立憲民主党の結成に加わり、現在は最高顧問を務めています。