摂政の昭和天皇や皇后、現地に 皇室被災地訪問の原点―関東大震災100年

東京, 8月18日, /AJMEDIA/

 9月1日で関東大震災から100年。当時皇太子で摂政だった昭和天皇は発生から2週間後に被災地を視察し、貞明皇后(大正天皇の皇后)も被災者を見舞った。明治以降、皇后や皇太子が災害発生後に現地を訪れた初の事例だったとされる。識者は、天皇や皇后が被災地を訪れる現代の皇室の活動と「結び付くところがある」と話している。
 宮内庁宮内公文書館に保存されている側近部局の日誌などによると、昭和天皇は栃木・日光の御用邸で静養中の大正天皇に代わって発生時から震災対応に当たり、1923(大正12)年9月15日、馬に乗って上野など東京都心部を視察。同月18日には焼死者が約3万8000人に上った陸軍被服廠跡など東京の下町方面を訪れ、10月10日には神奈川県の横浜、横須賀両市に足を運んだ。
 震災は、同11月の香淳皇后との婚儀の準備が進む中で起き、皇族3人が亡くなった。昭和天皇は最初の視察の翌日、婚儀延期の意向を表明し、執り行われたのは24年1月だった。被災者向けの「救恤(きゅうじゅつ)金」1000万円も下賜され、東京や神奈川などに分配された。
 一方、貞明皇后の意向で、被災者診療のための「宮内省巡回救療班」が組織された。案内用のビラでは、皇后が出産前後の女性や子どもの病気に手当てが行き届かないことを心配して設けられたと説明された。皇后は23年9月29日に日光から帰京し、上野公園の被災者収容所などを慰問。救療班の日誌には「無心の小児にまでも一々御慈悲深き慰問の御言葉を賜ひたるは、今に始めぬ事なから誠に畏き極みなり」と記されている。
 宮内公文書館の元研究員で中央大の宮間純一教授(日本近代史)は「明治以降の皇室では、皇后の弱者に寄り添う姿勢が強調されてきた。当時の活動はその積み重ねの上にあった」と指摘。昭和天皇については「近代国家における天皇の在り方を学んできた摂政だからこそ、できた振る舞いだったと言える」と話した。

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