東京, 9月23日 /AJMEDIA/
静岡地裁での再審公判で袴田巌さん(88)の判決が26日に言い渡されるのを前に、姉ひで子さん(91)が取材に応じ、「(判決は)平常心でただ待つだけ」と語った。事件からの58年間を「見えない権力と戦っている感じだった」と振り返り、「裁判が始まって先が見えた分、この1年間は長かった」と続けた。
巌さんは事件発生から約1カ月半が経過した1966年8月に逮捕された。当時、新聞やテレビは、巌さんが犯人だと大々的に報道。ひで子さん自身も厳しい世間の目にさらされた。
だが、ひで子さんの脳裏には、発生3日後に見た、普段通りに家族や近所の人たちとにこやかに話す巌さんの姿が焼き付いていた。「4人も殺した人間が、全然態度が変わらんのはおかしい」。周囲に何を言われようと、思いは揺るがなかった。弟は無実だ―。
死刑確定の約半年後、東京拘置所へ行くと、巌さんが面会室にばたばたと駆け込んできた。「きのう処刑があった。隣の部屋の人だった。『お元気で』って言ってた」。寡黙な弟がアクリル板越しにまくし立てたことが、強く印象に残っている。
「それまで実際に処刑されるってことを感じてなかったのだろう。ショックだったと思う」とひで子さん。巌さんはこの日を境に、拘禁反応による支離滅裂な言動が目立つようになった。
うまく意思疎通ができない状態が続いたが、ひで子さんは足しげく面会に通った。心掛けたのは、笑顔だ。「刑務所では笑うこともないだろうけど、私が笑えばニコッとするかと思ってね」。当時はほとんど笑顔を見せなかった巌さんも、釈放から10年がたち、明るい表情が多くなったという。
昨年10月に開始した再審で、ひで子さんは出廷が難しい巌さんの補佐人として、15回の公判すべてに出席した。法廷で初めて実物の「5点の衣類」を目にし、「(報道では)『血染めのパジャマ』と言っていたが血染めでもありもせんと思った」と振り返る。
再審を戦う中で、多くの冤罪(えんざい)被害者と出会い、「巌だけが助かりゃいいってもんじゃない」と、再審法改正にも情熱を注いできた。「巌が苦しんだことの代償として、法律を変えてもらわにゃ困る」。無罪判決が出ても、戦い続ける覚悟でいる。